Columnココロのコラム
ココロに「遊び」はありますか?
2021.06.16
今回は二つの「遊び」が重なるお話をしてみたいと思います。
俳優の津川雅彦さんがTV番組で「私たちの俳優や演劇といった仕事は無くても生きていけるものだ」「けれども車のハンドルの『遊び』がないととても危険な乗り物になってしまう。それと同じように私たちの芸能も無くなれば社会はとても窮屈なものになってしまう」と話されていました。これは「余裕」や「緩衝作用」としての「遊び」の必要性を説明するとても良い例えだと印象に残っています。
社会や企業でのハラスメントが問題となるとき、背景にはアンガーコントロール(怒りの制御)の乏しさや自覚のなさがあることが多く、アンガーマネジメント講座を研修に盛り込む企業も増えてきました。アンガーマネジメントの中に「瞬間的な怒り」をやり過ごすための方法として「テンカウント法(心の中で1から10まで数を数える)」「リラクセーション(目を閉じてゆっくり深呼吸をする)」といったものが紹介されていますが、これも「怒り」から距離をとる、緩衝となるものを入れて自分自身が怒りに飲み込まれてしまわないようにするやり方とも言えます。
「ココロに余裕のあること」が精神的な安定にも大切なものであることは多くの人が理解していることと思います。企業の中で人は「忙しさ」や「コミュニケーションの行き違い」あるいは「身体的な不調」などから少しずつ「ココロの余裕」が削り取られていき、気が付いたときには遊びの全くないハンドルの車を運転するような危険な状況に陥ることもあるのではないでしょうか。遊びがなくなると普段は受け流せるものが受け流せなくなったり、ほんの些細な刺激に大きく影響を受けてしまったり、直進走行も難しい車に乗っているような不安定で気を抜けない日々を過ごさなければならなくなってしまうでしょう。
突然「遊び」がなくなってしまえば誰もがその異常に気が付くのでしょうが、うつやメンタル不調に至る人の多くは「気づかぬうちに」「徐々に」、そして気づいたときにはどうすることもできないような「遊びのない」状態になってしまうのではないでしょうか。
そうした「追い詰まった」状態にならずに「ココロの余裕と健康」を保って生活していけるようにすることを「セルフコントロール」力と言うこともあります。ストレスが溜まったら適度に発散する、忙しさで疲労が高まったら休息を取る、自分を大切にしてメンテナンスする能力ということもできます。簡単なようで難しい、この「自分を大切にする」力は能力であり、人によって個人差があります。何の意識もせずコントロールできている人もいれば、周りの人が止めても無理や無茶を続けてしまう人もいます。
このセルフコントロールを意識するために、「遊び」のもう一つの意味が役に立つと思います。それは「創造性」としての「遊び」です。
「遊び」のなかにある「創造性」の大切さに着目したのはイギリスの精神分析理論家、D.W.ウィニコットです。
ウィニコットは小児科医でもあり、幼児の創造的な遊びによって人格が形作られていくことを発見しました。そして、安心、安全な環境にあって初めて人は創造的になることができる、それが人の「成長につながる」と述べています。
「創造性」とは、何か新しいものを作ること、新しいことを思いつくこと、機知、おもしろいことを思いつくこと、ワクワクすることを考えること、それに挑戦すること、などが含まれます。こうした「創造的」なことを行う、思いつくことができるかどうか、が「ココロに遊びがある状態」かどうかの見極めになるかもしれません。「こんなことやってみたら面白いかな」「これができるならワクワクするな」といったことを皆さん最近考えたことはありますか?
「遊び」のなかにある二つの意味、「余裕」と「創造性」を時々意識して自分の生活に取り入れてみる、あるいは余裕や創造性をココロに持てているかを振り返ってみることもココロのセルフコントロールにつながると思います。
ココロに「遊び」はありますか?