Columnココロのコラム
「恥の文化」と心の病
2021.05.26
「恥の文化」と心の病
「恥の文化」「罪の文化」ということばを聞いたことがあるでしょうか。これはアメリカの著名な文化人類学者ルース・ベネディクトが、戦時中の調査結果をもとに1946年に出版した『菊と刀』で使った用語です。この著書の中で、ベネディクトは日本文化の型を世間体や外聞を基準とした「恥の文化」、対して欧米は内面的な良心を基準とした「罪の文化」と述べています。私がこの著書と出会ったのは20年以上も前ですが、自分を含め、日本人の行動規定には、確かに「恥」というキーワードがあるかもしれないと妙に腑に落ちた感覚を今でも覚えています。
失敗から人前で恥をかくことを避け、周囲にどう見られているかを常に意識して行動していると言われると揶揄的に感じますが、「恥の文化」には良いところもあります。日本人の行動基準は周囲にあるので、常に意識が外を向いており、集団生活での和を大切にし、お互いを思いやることに繋がります。災害時でもパニックにならず秩序を保った行動ができるのは、こうした日本人の秩序や和を重んじる習慣があるからではないでしょうか。
一方で、封建時代からの階層社会で保たれた秩序、国や主君への義理や忠誠、そして「恥」という日本人に根付いた文化的背景が、きちんとした会社に勤め、人に迷惑をかけず、周りと同じように勤勉に働くべきだという概念を生み出しているのかもしれません。それは、心を病むことは恥ずかしいこと、カウンセリングを受けていることを人に知られたくない、精神科には行きたくないという考えに結び付いている可能性もあります。また、主君に忠誠を誓い、慎み、勤勉に仕えることが良しとされていた時代から、日本では「耐える」「忍ぶ、我慢する」「頑張る」ことが美徳とされてきました。そんな国民性もあるのか精神力が弱いと人に思われるのを嫌う傾向にあるようです。そうして辛抱強く我慢しているうちに、心の病は重症化し、時として死を選んでしまうのです。
長い歴史の中で作られてきた「恥の文化」からの脱却は難しく、また脱却することが必ずしも良いかどうかはわかりません。ただ、人と違うことや我慢ができないことを「恥」とは捉えない社会へと変わる必要性を感じます。多様性を受け入れ企業経営に活かすダイバーシティ&インクルージョンが昨今のトレンドですが、性格や習慣、考え方といった深層的なダイバーシティも受け入れなければ、会社がイノベーションを生み出し、社員が幸せに働くことは叶わないでしょう。カウンセリングや精神疾患の治療を受けることは特別なことでも、ましてや恥などではなく、多様化する現代で、ひとりひとりの生活と大切な命が守られ、健全に働き続ける上で必要なことなのです。会社が社員を守り、社員が会社に貢献し、両者が高め合っていくために、辛いことを辛いと言うこと、心が弱っていることに気づくこと、時として、カウンセリングや治療、休養による回復を優先とする必要があることを知っていてほしいと思います。